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2004年3月

2004年3月30日 (火曜日)

史上初のパン

東京では19℃を超え、花見の情報が流れていた。

しかし、そのころ知床といえば大荒れの天候。

わたしも除雪をしながら吹き飛ばされそうになる。


    「3月の観測史上最高!」


という秒速37mもの突風がすさまじい。

はじめての経験、わくわく。なんてものじゃない(笑)

おわかりのとおり、ウチの加工場は「ボロ」で有名。


    「屋根どころかまるごと吹き飛んだ?」


だれだあ、そんなこというのは.... いちおうテントと ちがい、被害は最小だった。


問題はそのあと。

なんと家のボイラーが故障! 原因は寒すぎによりふだ んより早く灯油がなくなり、燃焼系に空気が入ったため。

もっともだいじなライフラインが灯油。

石油店のおかみさんがお詫びにパンを差し入れてくれた。


     ふとんでパンをかじり−6℃の一夜を過ごす。


これもなかなか風情があるような。


     (ああ、お花見したい.....!)

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2004年3月28日 (日曜日)

ブリザード

二日前からはげしいブリザードに見舞われている。

家が揺れるほどの突風。こんなのが何日も続くの は経験がない。

Yahoo!で天気情報を見てみると低気圧がふたつ。

それらがひとつに合体した。

そのあいだ知床半島の東側に固定されたようにみ えた。

まったくえらい週末だ。

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2004年3月20日 (土曜日)

週刊文春

いま毎週購読しているのは文春だけだ。

しかし、いまこの町では定期購読をお願いできる書店がない。

それが、発売停止というので正直まいったなと思ったのだが。

どうやら杞憂のようだった。

いつものコンビニでなんなくゲットした。

かの「問題ある記事」には興味がない。いちおう目を通そう としたがあまりにもくだらないので読むことをあきらめた。

ジムキャリーの映画で平凡な一般市民が24時間報道されると いうものがあったが、たしかにそれはプライバシーがなくて 生活に支障をきたすだろう。

しかし、あの記事はまったく「面白味」に欠けるものであり 「中身」がない。

「中身」がないものを「中身」があるように掲載し、「中身」 があったかのように訴え出た。

その意味のないことが、「週刊誌本体の販売差し止め」とい う意味のあることにいたった。

そこが問題といえば問題だ。

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2004年3月19日 (金曜日)

コワイものみたさ。美味いもの喰いたさ

熊、それも地上最強ともいわれる羆(ヒグマ)を見たことがありますか?

あ、もちろん「動物園で」ではなく。

わたしはもっとも「濃い」エリアに住んでいるわけですが、野生のヒグマ
はまだ見たことがありません。

北海道人でもごくわずかだと思います。

はっきりいって、ゼッタイに出会いたくない存在です。どんなに恐ろしい
ものかは、ここでは述べませんが、常人の想像を絶するものであることは
たしかです。

そんなヒグマにしょっちゅう出会う、というよりヒグマを求めて探しまわ
る人がいます。

Oさんはふだん釣り船の船長をしています。しかし、中にはヒグマを撮り
続けて30年というディープな写真家が。

ハンターの資格もあるOさん、ふだん船から岸をながめているのでヒグマ
がどこに出没しているかよくわかっています。
そこで、毎年春になってヒグマが冬眠から目覚めるころその写真家を出没
地に案内しているのです。

あるとき、雪の小高い丘を登り詰めたところでふたつの黒いものがOさん
目に入りました。

         ヒグマの足の裏がふたつ。

そうです。ヒグマは寝ころんでいたのです。重ねられたエゾシカが2体、
近くにみえます。

満腹のヒグマは昼寝を決め込んでいたようです。

こちらの気配に気づいてむっくりと起きあがりました。足の裏を見せたま
まテディベアのようなかっこうでこちらをみています。

Oさんはそのときは丸腰ですから、ヒグマを見つめたままあとずさりをし
て丘を降り、ちょうど見えなくなったところで写真家に無言で手招きしま
した。

ところが、ヒグマ専門の写真家はうしろむき。川の対岸をながめていて、
こちらの身ぶり手ぶりにもなかなか気づきません。

やっと振り向いた写真家に

         (いる、いる....!)

とささやくと、なんと写真家は丘を駈けのぼると30メートルほどの距離
まで一気に近づいて写真を撮り始めました。

ほとんど自殺行為です。

しかしヒグマは満腹で、しかも人間に追われた経験がない個体だったよう
で無事にすみました。

インターネット喫茶「知床倶楽部」の壁にはその写真家が撮ったベストア
ングルの写真が飾られています。

ヒグマがシカをバリバリと食べている光景。目にはケダモノの狂気があり
あり。すごい迫力です。これはなんと

          5メートル!

の至近距離で撮影したそうです。

喫茶店のマスターは「その人、いつか喰われるなあ」と笑っています。

しかし、Oさんが「あした案内するんだけど、行ってみるかい?」と誘う
と....

         「よ~し明日は店は休みだ。行くぞ!」

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2004年3月13日 (土曜日)

ジョンレノンの友人と、魚屋のはなし

「その男」は札幌のワンルームマンションを仕事場にしていた。

ビデオ、オーディオ機材の山に埋もれており、わたしと友人は廊下になら
んだ折りたたみ椅子に腰掛けた。

先客がいかにもギョーカイ人のノリで仕事の話をしている。どうやらテレ
ビコマーシャルのCGをつくっているらしい。ディスプレイには飛行船が
編隊を組んで

    パチンコチェーンの名前が派手に浮かびあがった。


部屋を見回すと、フェンダージャズベースが見える。フレットレス仕様だ。
どうやらドラムセットもあるようだが、ここからは一部しか見えない。

窓はあるのかないのかわからない。きっと防音のためにふさいでしまった
のだろう。いま考えるとおそらくそうだ。

学生時代のバンド仲間である友人と、知床半島の魚屋であるわたしとがふ
たりでなぜこんなところにいるのかというと。


    ジョン・レノンの話が発端だった。


「ジョンの失われた休日」というエピソードがある。ジョンは妻のオノ・
ヨーコと一時別居にいたり、その期間すさんだ生活を繰り返していた。

その時代にジョンの飲んだくれにつきあっていた日本人ミュージシャンが
いるというのだ。しかも札幌に。

それが目の前の「彼」。まだ50歳前だと思う。

先客はどうもどうも、といいながらわれわれにぺこりとおじぎをして去っ
た。

わたしの友人が、「....さん、ジョンの話を聞きたいっていうんだけど」
と水を向けた。

かれはああ、あの話ね~、といいながらもう何百回も話したような調子で
語りだした。

イーグルスの「呪われた夜」のリードソロを考えたのは自分だ、と彼は言
った。

    「ジョー・ウォルシュって下手くそでさ」


教えるのに苦労したよ。じっさい、アメリカ人がああいう風にかっちり考
え抜いたフレーズを弾くなんておかしいと思っただろ。

ジョンとは「心の壁・愛の橋」に参加しただけだけど。あそこのクレジッ
トに......とあるのがそうさ。

いちばんたくさん仕事をしたのはビリー・ジョエルとだ。

ストレンジャーでエレキギターのアンサンブルが印象的でしょ。考えたの
がボク。あれで売れたんだ。ゴールドディスク何枚ももらったんで、おす
そわけがそのへんに転がってるはず。グラミー賞をとったとき彼は....


    「なぜ、日本にもどってきたのですか?」


そうたずねたのはわたしだった。

しかしその答えはいまは忘れてしまっている。おそらくそのときはすんな
りと納得したのだろうと思う。

表へ出たとき、札幌の冬空は冷えていた。

「まるでキツネにつままれたような話だな」 あまりにも荒唐無稽だ。ほ
んとはちがうんだろ。笑いながら車に乗り込むと、友人はいつになくまじ
めな表情でこう言った。


    「いや、あれはほんとうだよ」

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